ジュエリーワンダーラスト

エシカルジュエリーブランドの立ち上げ準備の記録と海外暮らしについて。

大体、うっせぇわって思ってる。

ごちゃごちゃ言われるのが苦手である。

 

そもそも得意な人もいないだろう。しかし、たいていの人は他人からごちゃごちゃ言われたことに対して、「私も悪かったかも」とか、「次は言われないようにしよう」とか、少しは思ったりするかもしれない。

 

社会に出るまでの私は、はっきり言って「純粋培養」だった。専業主婦の母と会社員の父、2歳上の姉の4人家族で、田舎でのびのび育った。ひたすら自分の勉強に集中していた。東京の国立大学に通いだしても、育った環境も将来の志も似通った友人たちに囲まれて、人の悪意というものをほとんど知らずに20代前半まで過ごした。しかしそれは私の周囲に「悪意」が存在しなかったという意味ではない。ただ、ピュア過ぎて、人に悪意を持った言動をされても、それに気づけなかったのだ。

 

社会人になってから、何かがおかしいことに気が付いた。自分の世界と、いわゆる「世間」にはズレがあると。

 

新卒で入った大きな出版社では、私は「プロパー」というカテゴリーに分類されるらしく、社内のカフェで入れた飲み物を私の後ろに並んでいた先輩に譲ったら、「いや大丈夫、私派遣なので!」と辞退された。何が「大丈夫」なのかわからなかった。

 

上司にクリエイティブについて意見を求められたので、感想を言ったら、「うーん、でもターゲットはルミネにいるみたいな普通の女の子なんだよね。ひささんみたいなエリートじゃなくて」と言われた。「じゃあ、聞くなよ」と思う前に、「私もルミネで買い物します…」と思った。

 

同期の男の子が、昨晩の合コンで女の子を「お持ちかえり」した話を嬉々として話していて、「ドラマでみたことあるやつだ…現実世界にも本当にあるんだ…!」と、ツチノコでも見たような気分だった。

 

例を挙げるとキリがないのが、とにかく社会人になってからの私を取り巻く世界は、学生時代までのそれとはまるで違って、私は非常に混乱した。自分の知らない間に、私にはレッテルが張ってあって、そのレッテルに沿って周囲からは扱われた

 

更には「社会」には暗黙の了解でヒエラルキーがあって、各人に与えられたレッテルに沿って、相応しい階級が自動的に割り当てられるようだった。そのヒエラルキーの中で、誰かを蹴落として自分が上に行きたいと思っている人もいれば、幸せそうにしている人がどうしても許せない人がいる、ということも学んだ。

 

そのままその会社にいれば、たぶん私は混乱しつつもその世界に馴染んでいったのだろうが、幸い2年ほどでイギリスの大学院に進学するために会社を退職した。

 

渡英後、大学院で私は初めてしっかりと「ジェンダー」に向き合った。授業でジェンダー学があったということ、そして3月8日の国際女性デーには「Happy Women's Day!」といいながら一輪の花をくれるような同級生たちに囲まれて、それまできちんと学んだことのなかったジェンダーについて学んだ。ジェンダーを学ぶことは、女性性や男性性を超越して、人間や人間関係について学ぶことだった。

 

そうしてその頃になって初めて、「20代前半のときに友人に言われたあれは、マウンティングだったのか」とか、「男性にされたあれは、セクハラだったのか」とボロボロ気が付くようになった。

 

そこから私は、周囲の雑音に対して「うっせぇわ」と思えるようになった。それが「雑音」なのだと、はっきり認識できるようになったから

 

 

これは私のおすすめのライフハック

 

私のブランドは、今はわかりやすく「エシカルジュエリー」を前面に出しているけれど、本当はもうひとつ柱にしたいと決めているコンセプトがある。それについてはもう少し準備が進んでから公にするけれど、自己主張するためのジュエリーを作りたいと思っている。

と、始めたTwitterでも宣言している。

 

これは私の持論だが、感覚的に分かってもらえるのではと踏んでいる。

 

性別は何か、なに人か、年収はいくらなのか、どんな容姿か、自分よりも上なのか、下なのか、いつの時代にもそんなことをごちゃごちゃ言ってくる輩はいくらでもいる。

 

そんな輩の話など最初から聞く必要はない。そういう時は、ただ一言「うっせぇわ」で十分だ。

 

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