ジュエリーワンダーラスト

エシカルジュエリーブランドの立ち上げ準備の記録と海外暮らしについて。

みーちゃんとケイちゃんとしもざわ先生

いつもジュエリーブランド立ち上げに関係あるのかないのか、イマイチ分からない話を書いているが、今回はそれに輪をかけて、ジュエリーにもビジネス立ち上げにも関係ない話だ。なぜなら私の小中学校時代の話だから。

 

私は普通の公立小学校と中学校に通っていた。学区内の子どもが皆通うので、もちろん色々な家庭環境の子が同じ教室で学ぶ。障がいのある子だって、当然いる。

 

私たちは100人程度の学年だったが、障がいのある子が2人いた。

 

1人はみーちゃん。全身麻痺で、車椅子に乗っていた。

 

1、2年生の頃、私はみーちゃんと同じクラスだった。もしかしたら授業は別だったのかもしれないが、ホームルームも、お昼休みも、遠足も一緒だったから、私含めクラス全員が、みーちゃんも単純にみんなと同じ、クラスメイトのひとりとして扱っていた。生活の中でみんな、みーちゃんの車椅子を押す機会があるから、私たちは自然と車椅子の押し方や、ロックの掛け方を覚えていった。車椅子だったけれど、ひとりがみーちゃんを押して、一緒に鬼ごっこだってした。

 

もう1人はケイちゃん。知的障害があって、会話はあまり出来なかった。

 

私はケイちゃんと、5、6年生で同じクラスだった。ケイちゃんも私たちと同じクラスで一緒に過ごしていたけれど、ふらふらと立ち歩いたり、たまに奇声を発したりした。そういうことがあっても、私たちは「まあ、そういうこともあるよな」くらいに思ってた。それに、あまりにもケイちゃんが金切声をあげたりする時は、「しもざわ先生」を呼べばいいって知っていたから、別に困らなかった。しもざわ先生は、いわゆる養護教諭で、障がいのある子の担当をしていた。

 

その他にも吃音の子もいれば、発達障がいの子もいた。当時の私たちはそうした障がい名なんて知らないし、少し「変わった子」とは思っても、それを理由にいじめたりはしなかった。だって1年生の頃から知ってるし。

 

そんな関係が変わったのは、中学校に上がってから。それまで同じ教室で過ごしていたみーちゃんもケイちゃんも、同じ中学校の中の「特別学級」で学ぶことになったのだ。

 

一緒に過ごす時間が文字通りゼロになった途端、2人は「クラスメイト」から「特別学級の子」になった。言葉を交わすことも次第になくなっていった。

 

中学校は、高校受験のための授業をしなくてはいけないから、特別支援学校に進学する2人と、普通高校に進学する私たちが一緒に授業を受けるのは難しかったのかもしれない。

 

「教室が別になった」、ただそれだけのことで、私たちの住む世界は完全に断絶されてしまったのだった。子どもの頃は意識したことなかった「障がいの有無」という違いを、大人になるにつれて意識するよう仕向けられているみたいだった。

 

学校は社会の縮図と言ったりするけれど、それでいったら私の学校は確かにその通りだった。社会に出たら、困難な家庭に育った人もいれば、外国人だっているし、障がいのある人だっている。社会に当然あるような多様性の中で学ぶことができて、私は幸運だったと思う(それでももちろん完璧ではなかったけれど)。

 

周囲の友達は、お受験をして、小学校や中学校からのエスカレーター式の私立校に通っていたという人も多くて、「障がい者の子もいた?」と聞いても大抵は「いなかった」と答える。その場合、車椅子の押し方とかって、どこで学ぶんだろう?

 

友達たちは子どもを産む年齢になって、「子どもにはいい教育環境を用意してあげたい」とかって言うけれど、「いい教育環境」ってなんだろう?授業の途中で叫び出したりする子がいないような環境?そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

結局私とみーちゃん、ケイちゃんの関係がどうなったかというと、中学校卒業後、みーちゃんに会うことはなく、ケイちゃんは一度だけ電車で見かけたけれど、声をかけるわけでもなく、それきりだった。色々言っておいて、私自身こんなものだ。

 

成長する過程でみーちゃんやケイちゃんとかかわりを持てたことは、私にとって学ぶことが多く印象的な思い出だ。でも一点忘れてはいけないことは、これはあくまで私の視点だってこと。実際もし今みーちゃんやケイちゃんに当時のことを聞いたら、実は嫌な思いをしていたかもしれないし、同じ教室で過ごしたのはそんな良いもんじゃなかったよって、言うかもしれない。それは聞いてみないとわからない、ということは心に留めておかないといけない。

 

これを書いていて私は、そういえば、私のジュエリーブランド作りには、障がいの視点が抜け落ちていたと反省した。と、その次の瞬間には、「いや、ジュエリーつけるのに障がいって関係なくね?」とまた反省した。だって、例えば身体的欠損で手や足がなかったとして、それでもピアスやネックレスがつけられるし、知的障害があったとしても、「キラキラしたものが好き」とか、「赤色の石が好き」とかあるだろうし。

 

ブランドコンセプトを詰めていく中で、ふとこんな昔のことを思い出したり、当時思っていたこと、今改めて思うことが溢れてくる。ジュエリーにもビジネス立ち上げにも関係ないが、少なくとも「ソーシャル」には関係あるだろう。私が立ち上げようとしているのはソーシャルビジネスだから、そういうところも大切にしたい。

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(※登場人物は全員仮名です。)