ジュエリーワンダーラスト

エシカルジュエリーブランドの立ち上げ準備の記録と海外暮らしについて。

こちらは夜の10時半です。

戦争が始まった。21世紀のヨーロッパで、こんなことってあるのか、とたぶん皆思っている。と思いつつ、「ヨーロッパ以外の地域ではそれ以上のことが今に至るまで起こってきたよ、「こんなことってあるのか」なんて白々しい、現金な奴」という声も頭の中に響く。ウクライナの件を皮切りに、自分の思考の見直しが起こっていて、少し混乱している。

 

私は紛争解決を専攻していたし関心も高いけれど、今回の件については積極的なSNS発信はしない。「いいね」はするけれど、あくまで国際メディアが報じる現地の人の様子とか、大使館の公式ツイートとか。よく知らない人の情報拡散系に「いいね」したり、リツイートしたりはしない。

 

なぜなら今の私の知識では、フェイクニュースを見抜けないからだ。更にそれはなぜかと言うと、これまでの人生、旧ソ連諸国の歴史や政治をしっかり学んだことがないから。つまり、よく知らないのだ。現在、複数のメディアを参考に勉強している途中である。

 

「よく知らないことに何でもかんでも意見するのはやめなさい」と、昔どこかで見た。このモットーに基づいて、私は自分で学んで納得した上で発言したい。もちろん、これは「政治をよくわかっていない人間が発言すべきではない」という意味ではない。市民が物事に賛成したり反対したり、活発に議論をすることは、政府を動かすだけの強力なパワーを持っている。

ただ、「意見」の中には、人を傷つけてしまう発言や、人を混乱させてしまう発言がある。そして非常事態ならば尚更、そのことを自覚し敏感にならないといけない。私は自分がそうした発信をしてしまう可能性を、極力下げたいのだ。そのために出来ることはまず「学ぶこと」。

 

大学生の頃、東日本大震災が起きた。私は東北育ちで実家も東北にある。幸い家族や友達など身近な人は全員無事だったけれど、連日報道される現地の様子をみたり、自分も東京で体験した強い揺れに恐怖を感じたことで、とても感傷的になっていた。ただ、当時は自分が感傷的になっているという自覚はなかった。

 

震災後、初めての大学のゼミの授業では、もちろん先生は震災について扱った。しかしそれは私が思っていたような扱い方ではなかった。開口一番、こう言い放ったのだ。

 

「今もし北朝鮮がミサイルを打ってきたら、日本は戦争をするだろうね。」

 

衝撃的だった。「こんな時にそんな話をするなんて。」

 

でも次の瞬間には、「あ、これが戦争につながる思考なんだ」と、はたと気づいた。気づかされた。

 

当時を覚えている人も多いと思うけれど、毎日のようにテレビでは「がんばれ日本」、「がんばれ東北」、「絆」というスローガンが流れていた。私ももちろんそれに共感し、一丸となって頑張ろうと思っていた。そんな中でもし、北朝鮮日本海方面にでもミサイルを撃ってきたら?怒りに震えて「自国を守ろう!」と立ち上がったのではないか?

 

外大という左も左な大学に通っていたけれど、あの時の私は完全に右寄りの思想になっていたと思う。人生で最も愛国心が高まった時期ともいえる(右派と愛国心を安易に結びつけたことは見逃して)。

 

ゼミの先生のこの一言で、それまで感傷的だった自分から目が覚めた。そして次に思ったことは、「学ぼう」だった。それは「視野を広げる」と同義だから。視野が広くないと、人間は物事を冷静に俯瞰的にみて、数ある選択肢から最善を探し出すことができないから。

 

あの時ゼミの先生の発言で目が覚めてから、日本中が、もしくは世界中が一丸となるべき事態が起きたとき、それに連帯も示しながらも、思考を停止しないことの重要性を常に意識するようになった。

 

日本の大学の学費は高すぎるけど、あのアハ体験とあの先生のもとで学べたことだけは、それだけの価値があったと思っている。