ジュエリー・ワンダーラスト

エシカルジュエリーブランドの立ち上げ準備の記録と海外暮らしについて。

アナスタシア

美術館や博物館が好きだ。

古いもの、今ではもう作られることのないもの、歴史を背負っているもの、そういう類のものを見て、これまで辿ってきた時間や目撃してきたであろう物語に思いを馳せるのが好きだからだ。

 

それが過去に栄華を誇った王朝のコレクションなどだと、殊更テンションが上がる。現在まで残っていて私たちが目にすることができるものというのは、もちろんそれだけの価値があるもの、古代以前は別として、大体その時代の権力者が当時の一流の職人に作らせたものである。

 

もっと言えば、その時代のごく一部の特権階級が、その他大勢の民衆に対して税を課し、富を集中させることで生み出した潤沢な資金によって作られたお宝だ。ピラミッドを見れば分かるように、それはお金だけではなく、労働力も人権度外視に動員したかもしれない。

 

大体の歴史のお宝は、一般の人々の搾取の上に成り立っているということだ。格差のある社会の方が素晴らしい芸術が生まれやすい。なぜならそれは、格差があるということは、大金持ちがいるということで、そうした人々が芸術家に作品をオーダーし、庇護するパトロンとなるからだ。

 

ロシアンアンティークはコレクターが多いジュエリーのひとつだが、昔ロシアで作られたものならばいいというわけではなく、大抵ロマノフ王朝時代に作られたものを指す。20世紀初頭にロシア革命によって、一家全員が悲劇的な最期を迎え終焉したロマノフ王朝

アナスタシア王女生存説が尾を引きつつも共産主義となったソ連では、格差のない平等な社会が目指されたわけだから、ロマノフ王朝時代のようなとんでもなくお金がかけられた、とんでもなく素晴らしい作品というのは生み出されなかった(ソ連USSR)のデザインはまた別のヴィンテージとしての人気はあるけれど)。

 

ジュエリーというのは他の芸術同様に、その時代の時代を如実に反映している。

私は格差社会の恩恵を受けて生み出されたアンティークジュエリーを尊び、背景を理解した上で身につけてもいる。果たしてこれはいいことなのか。これはアンティークジュエリーに限らず、例えばリサイクルマテリアルも当てはまる。金や宝石など、過去のジュエリーに使われたものを再利用する、という動きがあるけれど、昔とはいえ、人権を踏みにじって採掘されたものだったら、それは果たしてエシカルなのか?

美しさを免罪符に格差や搾取が許容されるのか。答えは否。それと同時に、背景に囚われて美しいものを美しいと言えないのも耐え難い。

 

それゆえに私が設けた判断基準は、「それを購入することで今現在もしくは未来の誰かが苦しむことになるものは避ける」ということだ。なぜなら過去は変えられないから。「これはエシカルなバックグラウンドをもっていないかも」と思って、それを避けてしまえばそれは利用されることなく埋もれていくのみ。それでは本末転倒だ。人や環境を踏みにじって作られたものかもしれないが、製品となってしまった以上は、使い倒すしかないと思う。その物に感謝しながら大事に使い続ける、我々にできることはそれしかもうないのだ。この基準に沿って、還流品は良いことにしている。

 

物事は何事も繋がっていて、考え出したらキリがないことも多い。宝石についても、「○○はだめだというけれど、すべての背景が分かるわけでもないし気にしていたらきりがない」という人もいる。その気持ちはとても分かる。ただそれだと思考停止になってしまう。それこそ私が最も恐れていることだ。だから結局、「自分の中の判断基準」を持つ、ということが大事だと思う。